キングスマン:ゴールデン・サークル

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※がつんとネタバレしています。

帰ってきた悪ふざけスパイ映画。前作ではコリン・ファースの紳士的物腰と荒唐無稽なスパイギミックの融合で、映画とコミックのはざまを華麗に駆け抜けていったキングスマンですが、続編となる本作では完全にコミックのほうに舵を切った。しかも青年誌ではなくむしろ「今週のびっくりどっきりメカ~!」とジュリアン・ムーアがいつ言い出してもおかしくない。そんなびっくりどっきりスパイだったので開幕から私の中の「どうでもいいわ」メーターがMAX。こんなにも(私の)人心が荒廃してしまった世界で、私たちにまだ大事なものは残されているのか…?いやあります。「キングスマン」にはまだ魅力的なキャラクタたちがいる!そんなキャラクタたちもほとんどは爆発四散するので残るのは肉片と焦土と荒れた人心です。キングスマン:アポカリプスじゃないの?

 

以下、全般的にどうでもよかった私がなんとか絞りだしたどうでもよくないところを挙げました。順序もめちゃくちゃだけど本作はおでんみたいな感じで、お好みのイベントが串にぶっささっているだけなので、順序を入れ替えたところで味は変わらない気がする。

いいでしょうか? ランキング式でいきます。ネタバレします。見てない人にはおすすめできない。私は心が荒廃したため説明を放棄しておりたぶん見てないと「えっ、なんて?」ってなります。





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The Book of Henry

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2017年サマーシーズンに彗星のように現れた大怪作。コリン・トレボロウ監督が「スターウォーズ エピソード9」から降板のニュースに一部で「えっ…あれでは…?」と囁かれたがそもそも興行失敗であんまり見た人がいないので囁かれただけだったことでも記憶に新しい「The Book of Henry」です。

私は予告を見かけて、変わったかんじの映画だなあーと思って公開後すぐ見てきたのですが、そんな予告でもにじみ出るほどの変さ。でも本編のほうが10倍変なのでむしろ鑑賞後には予告作った人すげーなと思いました。

私はこの映画がけっこう好きでパッションがあるので、ぜひみんなに見てほしい!感じてほしい!まっさらの状態で見て!という気持ちと、日本公開しないかもしれないし存在を知ってほしい!という気持ちが両方あり、エントリ書こうかどうか迷ったのですがといいつつ正直ただ単に私が「The Book of Henry」の話したいので書きます。でもセンスオブワンダー(?)を感じたい人は読まずに日本公開を待つかソフトを輸入しよう。

 

いいでしょうか? ここから下はスポイラーです。ただスポイラーにスポイルされるような「The Book of Henry」なのか? 言葉では伝えきれないのが「The Book of Henry」なんじゃないのか? そんな問いも出てくるので、読んでしまった場合も日本公開を待つかソフトを輸入しよう。またはNetflixの方角へ祈ろう。

 

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mother!

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このポスターを見てやったージェニファー・ローレンスの映画だ!と思って見に行くと、どっこいずっとハビエル・バルデムのターンです。

正解のイメージはこちら。

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いやーびっくりした。おまえかよ!って言ってました。まさかずっとおまえかよ。ジェニファー・ローレンスずっと映ってるけど。スクリーンタイムのほとんどはジェニファー・ローレンスの顔が画面にアップで映し出されている。しかし結果バルデム地獄。反復される不快な描写とあいまってまさに地獄。

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人里離れた辺鄙などこかに住んでいる若い妻(ジェニファー・ローレンス)と親子ほど年の離れた夫(ハビエル・バルデム)。妻は美しく従順で献身的、家の修繕までDIYでぜんぶこなすスーパーワイフ。夫は作家(詩人)、熱狂的ファンがいるほどの人気だったが、もう長い間スランプに陥っている。妻はひたすら夫に尽くす。夫は言葉では愛情深いが、なんだかちょっと反応が悪い…娘くらいの妻に上げ膳下げ膳してもらいながらチラっと「うざ」みたいな気配を発す父親くらいの夫…地獄の気配…!

という開幕設定でがつんと不快感メーターがうなぎのぼりました。しかしmother!の不快描写はまだまだはじまったばかりというか、むしろ不快な描写しかない。
招かれざる客(エド・ハリス)がやってきてからは、増え続ける闖入者に、精魂込めて作った家が破壊されていくのをなすすべなく呆然と見るジェニファー・ローレンスと観客。他人に対してはやたら慈悲深く外面のいい夫は妻の懇願にもかかわらず闖入者を追い出さない。繰り返し。

このあたりの怒涛の不快感、あまりに不快すぎてここでもう見るのやめるチョイスも視野に入ってくる頃合いかと思います。私は家の物理破壊は苦手じゃないんですけど、「他人に対してやたら外面のいい夫」がきつかった。俺は酒を飲みながらこの人と話したい、俺は楽しいからこの人にいてもらおう、みんな俺に会いに来てるんだよ、俺、俺、俺。ずっと俺の話かよ! そう、ずっと俺の話なんです。画面には出ていないけどずっと俺。ジェニファー・ローレンスは俺の一部として出てるだけ。ぶっちゃけ最後まで見ると明示的になるんですが、この話の中で自我を持ってるのハビエル・バルデムだけなんですよね。自我を持たない脇役のジェニファー・ローレンスの視点から自我を持つ主人公のハビエル・バルデムを見る構成だったのかって思うと興味ぶかいけど、主人公がジェニファー・ローレンスだと思って見に行ってるから、おまえかよ!ってなるよね。

クライマックスの狂騒も楽しいけど、不快メーターが常に90くらいをさまよってるので、へー楽しいな不快、とか、へーここはこんなメタファーかな不快、とか、とにかく不快の2文字がつねに語尾のように感想についてきます。ハビエル・バルデム(「ノーカントリー」「スカイフォール」)は素晴らしいパフォーマンスで、後半はもうバルデムの顔を見るだけで不快でしたよね。今後見かけたらあっあの不快な顔の人だ!と認識できる。次回作で払拭なるか不快感。

ちなみに本作が聖書をもとにした寓話であることはこちらの記事 などで明かされているのですが、正直そんな真の意図より表層として使われた「一見優しそうだが極度にエゴイスティックなアーティスト系の夫」のほうがリアルでビビッドな不快感があって興味が尽きない。

上記の記事などに紹介されている意図としてはようするにハビエル・バルデムは神なんですけど、壮年の男性で創作者でスランプに苦しみ、年下の美しい女性がパートナーで、創作のためにすべてを犠牲にする…という自分に属性の近いキャラを作って、それに尽くす女性役を現実の自分のパートナーにふって、しかも聖書のアナロジーでその男は神である…ということを知って私はアロノフスキー監督に戦慄しました。まさかずっとおまえの話なのか。ほんとに。