ブレードランナー2049 & ブレードランナー (1982)

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2017年後半期待のノスタルジーSF大作。私も楽しみにしており公開初日に万難を排してさっそく見た結果、ディ、ディスりてえー!と熱く思ったので熱い気持ちのまま書きます。ディスりたさというドライヴが私をブログへと向かわせる。もっとポジティブな目的のためにキーを叩けば?ともいえるけどThis is who I amだから…ありのままで…

この感想は以下の内容で構成されています。

 1.「ブレードランナー (1982)」のここがキモい!

 2.「ブレードランナー2049」~受け継がれるキモさ、消えたキモさ~

 3.2作のキモさの違い

小タイトルでおわかりのようにひたすらキモいキモいみたいな話が続きますが大丈夫でしょうか? 私は事前予習の「ブレードランナー (1982)」でかなりどん引きだったんですけど、新作はリドリー・スコット監督じゃないし(これを撮らずに同監督が撮った「エイリアン:コヴェナント」すごくキモかったです、面白かったけど)、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「Arrival(メッセージ)」は去年の私のベストだったし、きっとあのキモさは受け継がれてないんじゃないかな~と希望的観測で出かけたら受け継がれてました。同じ魂が宿っていた。えらいぞヴィルヌーヴ。えらくなくてもよかったけど。

*2049についてはプロット上の核心的なネタバレはしてないけどテーマについて触れてるし一部台詞を引用してるし流れがだいたい察せられる可能性がある。1982は全バレです。

 

1.「ブレードランナー (1982)」のここがキモい!

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アジアンなオリエンタリズム溢れる未来ディストピア描写の元祖として有名な「ブレードランナー (1982)」ですが、2017年に初見の私にとっては「引用先で見ました」なのでそこ感想はないとして、強烈に印象に残るのはやっぱりレプリカントの描写です。

レプリカントは完璧であり美しい。人間より強く、人間より賢い。足枷となるのは無残にも短い寿命だけです。彼らは長くは生きられません(But then again, who does?)。それもまた一瞬の閃光のような美しさを印象づけます。

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突然の鳩

 

このレプリカントの美しさ描写、抜群にキモかったというかフェチっぽくなかったですか? 完璧に整った美というより異形的な美。人間に近い…といっても人間以下ではなく人間以上であるものとして、逆側の不気味の谷に落ちるような描写。中でもルドガー・ハウアー美しかったですね。「コヴェナント」でマイケル・ファスベンダー無双を見たあとだったので感慨深かった。リビドーを感じる。

対比として「ブレードランナー (1982)」に出てくる人類ってあんまり美しくない。カオスで汚い街の描写も含めてそうだけど、特に主役のデッカード、ただただ「俺は人生に疲れている」という波動を不機嫌な顔で発しつづける以外は特にいいところがない。お前の不機嫌な人生の残り時間をレプリカントにくれてやってくれ。デッカードがレプリカントかどうかの議論があるということなんですけど、あいつどう見ても人間でしょだって美しく撮られてないもん。少なくとも撮影時には意図的に情けなく撮られてない? ブレードランナーがレプリカントだったら面白いよねっていうプロット上の利点はわかるけど審美的にむりでは?

上の段落でバレているように私デッカードのこと嫌いだし「ブレードランナー (1982)」のキモさの源のひとつなんですけど、それは人生に疲れてて不機嫌なのがカッコいい的価値観がもはやしんどいのでデッカードが疲れた顔で捜査してるシーン全般がかったるいという以外に、レイチェルとのラブシーンがレイプに見えるっていうの大きいよね。

 

(該当シーンを貼ろうかと思ったけど胸糞だしべつにいいかと思った余白)

 

自分がレプリカントだと知ったレイチェルが自分の欲望が本物かどうか戸惑っているとか物語内的にはいろいろあるだろうけど、自分の欲望を否定するor素直に表示できない女とそれを力づくで”肯定してやる”男の構図あまりにビビッドにキモいしクソでしょ。しかもたぶん1982年には別にこの描写センセーショナルでもなんでもなかったでしょ。一見倫理に反しているけどこの二人にはそれを超えた特別な絆があるんです!ていう自覚に基づくシーンじゃないでしょこれ。このシーンが物語内的にレイプになるかっていうより、メタ的に当時の(今も)社会のレイプカルチャー的視線を感じるのがキモいでしょ。 

あとエポックメイキングなディストピア描写をしつつも、その社会について語られることはほとんどなく、ただ寿命を延ばしたいレプリカントたちの動きや、人生に疲れたデッカードの地味な捜査がスローなペースで描かれる。最終的にはレプリカントは死を迎え、デッカードが疲れた人生から愛する女を手に入れることで脱却するという非常にパーソナルかつ普通きわまりない結末を迎える。新しげで壮大な皮をかぶった古げな俺/私の個人的物語というのも窒息感が高かったです。まあぶっちゃけスローなのが私には一番きつかった。プロットとしてはミステリーがないのに長い。その余白になにが入ってるかというとオリエンタリズムだったり、レプリカントフェチだったり、デッカードのニヒル感だったり。

 

こうしたキモさとエモーショナルさに溢れた「ブレードランナー (1982)」を事前学習で見たわけですが、「メッセージ」であれだけクレバーなSFを撮ったヴィルヌーヴ監督だから、もしかしたらあの魅力的な世界観を再解釈して発展させた、現代的でスタイリッシュなSFが展開されるのかな…?と思っているうちにやってきた公開日。その結果がこれだ!

 

2.「ブレードランナー2049」~受け継がれるキモさ、消えたキモさ~

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受け継がれたもの①スローペース

ぎゃー!受け継がなくてよかったのにー!

「ブレードランナー (1982)」はプロットをひねらないわりに長いと私の中で不評でしたが「ブレードランナー2049」には前作よりミステリーやプロットツイストなどあります!やったー!だけど同じペースで語るから今度は2時間40分あります! 同じ内容で2時間にまとめて…。大丈夫だよできるってゴズリングのサイバーセックスとかあんなに長くやらなかったら…。

私の「ブレードランナー2049」脱落はほぼこれが原因です。「ブレードランナー (1982)」の魅力はあのスロウなペースにもあるということなんだろうけど遅い&長いは私にはハードコアだった。内容は十分増えたんだけど時間も増えたのでそれほどでもない話をやたらひっぱっている感は健在。

受け継がれたもの②世界ではなく俺/私の物語

今回もまた魅力的なディストピアを舞台にしながら物語は決してその社会自体への疑問や世界の変革に触れることなく(ちょっと触れるけど刺身のツマ)、個人のアイデンティティとか家族とかウェットでパーソナルな俺/私の物語に終始します。だからか1億5千万ドルの大作っぽくなくて、やっぱり前作と同じカルト映画っぽいなと私は思いました。

受け継がれたもの③白人中心オリエンタリズム

ごぞんじのとおりブレードランナーの世界には日本をはじめアジアの言語や文化が美術として使われており、マルチカルチュラルな雰囲気があるんですけど、今回も主要キャラにアジア系は無(本当に絶無。通行人とかにはいた気がするレベル)。アフリカ系は脇役にちょっと。中東系もたぶんいないです。そしてミックスらしき人もいない。これはほんとに不思議なんだけどあれだけ文化が混ざっている世界観なのになぜ人種は混ざっていないのか? 現在のロサンゼルスより人種多様性がなさそうだから過去に人種による虐殺かパージがあったんじゃないかとさえ思えるんだけどそのへん説明あるんでしょうか。

1982年なら時代が…と思ったけど今回は意図的だと思われてもしょうがないんじゃないかな。つまりブレードランナーの世界はそういうものなんだと思う。あの世界におけるアジアはじめ他の文化というのは「異質なものが日常に入り込んでいる」ディストピア感を演出するものでしかない。だから異質感を出すためにアジアンな背景にアジア人はいない。前作はそうだったし2049もそれを受け継いだ。レプリカントの扱いもそうだけど30年間であの世界はほんとになにひとつ進歩してない。わざわざ30年進めた意味はプロット的にはわかるんですけどキャラクタ的な都合であって新たな世界観を示したいとかではまったくなかった。世界観は時が止まったようにそのまま。だいたい人類が学ぶには数百年から千年くらいかかるので、30年という時間は人類が成長するには短すぎたかもしれませんけど…現実にも。

受け継がれたもの④デッカードのクソさ

若いころニヒルで鳴らしたデッカードは子を思う(が子の養育には関わらない)父親になっており、おまえの人生はアレだな、どこまでいってもそんな感じだな。(そんな感じをぼかさないでいうと時代と社会に普遍的なクソさを体現しながら普遍的なので糾弾されない個性のないクソ)。別におまえの人生だからいいけど…。デッカードわりと普通の主人公なのにあまりに当たりがきつくない?って思われるかと思うんですけど、クソさが普通なので嫌いなんです。日常にひそむクソ。

 

このようにさまざまなレガシーを忠実に受け継いで私がうぎゃー!となった「ブレードランナー2049」なのですが、ひとつあれっ消えている…?と思ったものがありました。

 

消えたもの①レプリカントフェチ

これ!!上でさんざんキモかったよーって言っておいてあれなんですけど、このキモさ足りなくない?だいじょうぶ?このキモさなくてもブレードランナーやっていける? 

今回重要なテーマになるのが生殖能力なんですけど、そもそもなんでレプリカントあれだけ優秀なのに生殖能力だけないの?(意図的に与えていないのではなく技術的に不可能という描写)っていうのもよくわからない…というか有性生殖の神聖視みたいでまた違ったキモさがある。ここ2049のオリジナルのキモさです。「作られたのではなく生まれたものには魂が宿っているんじゃないかと思う」といった台詞があるんですけど産道を通りたさがすごいんだなと思いました。別にどこを通ってこの世に登場しようが変わらないと思うけど。

それ以上にこれだとレプリカントが完全に「人間に似てるけど人間に及ばないもの」になっちゃうのでは? レプリカントのほうが強く、美しく、完璧なのでは? 生殖能力があれば我々は自分たちで同胞を生める独立した種だーみたいなこと言ってたけど、いや別に有性生殖で10か月待つとか非効率な方法で同胞を生み出す必要どこにもないじゃん…レプリカントを生み出すには技術があればいいんだから技術を掌握したらもう自分たちで生めるし独立した種じゃん。やるべきは人類の打倒であって有性生殖じゃないですよ。どうしても生殖したいんなら無性生殖にして、いっそほら胞子の形とかで宿主の体に入り込んでほんの数時間くらいでオギャー!って生まれるようにしたほうが生物としてぜんぜんつよくない??あっこれはどこかで見た…コヴェナント…?

2049のレプリカントには特別な美しさはありません。いや美しいけど、人間もけっこうこぎれいで美しい人ばっかりだし差がよくわからない。ライアン・ゴズリングは美しいけど異形的ではない。どちらかというと無。美しさをことさらに感じさせないステルス美。ライアン・ゴズリングはデッカードとは違う世代のカッコイイを体現する人なのでデッカードよりずっと厳しい状況だけどデッカードとちがって不機嫌なオーラを放射しない。デッカードには本当に反省してほしい。話がそれたけどいちばん異形っぽいのジャレット・レトですけどあいつ人間じゃねえか。関係ないけどジャレット・レト、大変そうな役作りをした逸話が聞こえてくるわりに本編見るとこれのためにそんな労力を…?ってなるの2年連続2回目では。

まとめると2049のレプリカントはちょっと人間ワナビーすぎるような気がする。人間をすでに超えているのがレプリカントだよ!と思ってるレプリカント過激派には大きな解釈違いの可能性がある。私は他のキモさがしっかりリスペクトされて受け継がれたのにこの最大のキモさだけが受け継がれなかったことに衝撃を受けた。これだけ前作をリスペクトした制作陣がなぜここだけ…。それほどまでにあの人造人間崇拝感はリドリー・スコットにしか出せない作家性なのか? 「ブレードランナー (1982)」から35年後、私たちに与えられた続編はやはり「コヴェナント」だというのか?

 

3.2作のキモさの違い

人間以上の存在としてのレプリカント崇拝がキモかった「ブレードランナー (1982)」と、ナチュラルな人間礼賛がナチュラルにキモい「ブレードランナー2049」、違うキモさが出てきたのが面白いなと思いました。特に2049と同じく生殖というテーマを扱いながらあれだけキモい(前者的な意味で)ものに仕上げてきた「コヴェナント」を考えるとますます感慨深い。途中からだいぶ「コヴェナント」の話になったけど私コヴェナント好きなんです。2017年ここまでで好きだった未来系SFは「コヴェナント」と「ヴァレリアン」です。どっちもとてもキモい。自分のドライヴに忠実になにかを表現する時、人はキモいものを作ってしまうのかもしれない。But then again, who doesn't?