Marjorie Prime

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ジョーダン・ハンソンによるSF戯曲の映画化。ぐぐったら日本でも「プライムたちの夜」という題で2017年11月に公演があるとのことです。本作の日本公開は未定みたい。カナダでもシネコンでは公開しなかった(と思う)のですがひっそりと単館で1週だけ公開されたのですべりこみました。

ちなみにこの映画のために行った映画館、入場2.5ドル(約200円)でした。ありがたい。でもどうやって経営が成り立っているのか気になる。カウンターにいたあの主らしきシニアパーソンが映画配給界に特別なコネを持っていたりするのだろうか。

さて本作なのですがなぜいつも行かない映画館までいったかというとSFが好きなのと、ジョン・ハムが見たかったからです。

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は、ハンサムーーーーハンサムすぎて非実在感

ジョン・ハムといえば直近では「ベイビードライバー」のバディ、「ブラックミラー」”ホワイトクリスマス”などの活躍が記憶に新しいのですが、その濃いめの容貌からかわりと怖いというかオラついた役だった以上2作とは趣向がかわって、本作のジョン・ハムはどこまでも礼儀正しくイノセント、なぜならホログラム人工知能だからです。ほんとうに非実在のジョン・ハム。

ちなみに名前はウォルター。AIのウォルター…?(偶然です)

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ある海辺の家のリビングで話をするマージョリー(ロイス・スミス)とウォルター(ジョン・ハム)。病気のため記憶が曖昧なマージョリーにウォルターは言う。「二人で映画を見た時の話をしよう。…僕があなたにプロポーズした時だ」ウォルターはマージョリーの亡夫なのだ。この近未来では「プライム」と呼ばれる人工知能とホログラムで、亡くなった人と話をすることができる。生きている人が求める姿のままで。マージョリーのために設定されたウォルターはハンサムな若い頃のままだった…

ただしプライムは亡くなった人の繊細な内面までは再現できないので、当人らしくふるまうには、当人を知る者たちとの会話や思い出話によって、その人らしさを学ばなければなりません。つまりプライムは、本人の再現ではなく、生きている者の記憶の中にある死んだ者の再現なのです。

ということで本作はAIと人間の関係というより、人間の記憶についての話なんだと思います。記憶は劣化し、改ざんされ、時には葬られる。変質していく記憶によるしかない人間には、他人も、自分の人生でさえ、はっきりと掴むことはできない。でも抜け落ちた無数のピースがあるジグソーパズルをふと遠くから見てはじめてそこに何が描いてあったかがわかるように、人生や他人を理解する瞬間がある。たとえ生きているうちにはできずに、プライムに託すことになったとしても。

なんか見終わった時は「うーむ素敵だがよくわからない映画だったな」と思っていたんですけど、1週間くらいたってこうして書いてたらめちゃ感動的だった気がしてきた。人間とAIの関係の話じゃないっていったけどやっぱりそうなのかも。混沌として五里霧中の人間と、そのカオスなデータを受け取ってシンプルな(人間にはシンプルすぎて出せない)答えを出す存在として考えると。本作のプライムには「より人間らしくなりたい」という欲求がプログラムされているらしく、「人間らしいってどういうこと?」と聞かれると「予測できないこと(unpredictable)」と答える場面があります。掴みきれない人生に翻弄される人間と、もっと掴みきれなくなりたいAI。自分の掴みきれなさに日々つらがっている私などはなぜこっち側にきたいんだと思うわけですがでもジョンハムAIが真摯さと礼儀正しさとわずかな戸惑いを見せながらもっと人間らしくなりたい!っていうならそうか…にんげんにも魅力的なところがあるのか…と思いました。人間賛歌だ。

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マージョリ―の娘テス(ジーナ・デイヴィス)とその夫ジョン(ティム・ロビンス)も素晴らしいパフォーマンスでした。ほぼこの4人しか出てこず全員に見せ場があるので、演技派どうしの火花が散っていた。特にテスは母マージョリ―とうまくいかず、自分はああはならないと思ったのに自分の娘ともうまくいかず絶縁状態だったり、とてもつらかった。

 

 

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わりと光に溢れたシーンが多かったので後光が差しがちなジョン・ハムでおわります。