It Comes at Night

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災害が起きたり、ゾンビや宇宙人が襲来したり、世界が終わりにさしかかったりすると、「俺は俺の嫁と子供だけは何に代えても守るぜ!」と一念発起するお父さんがたくさん出てきます。そんなお父さんたちに地獄へ落ちてほしい層(私など)向けの映画、トレイ・エドワード・シュルツ監督(「Krisha」)の「It Comes at Night」です。今をときめくA24配給。

私の住んでいる地域では「The Book of Henry」と同週の公開で、完成度という言葉が辞書になかったがジェットコースター式に楽しく見られた「The Book of Henry」と、完成度はすばらしいが地を這うように地味な「It Comes at Night」、私はどちらも好きだったので勝手に姉妹作だな!と思っていました。どっちの制作者からも心外な顔をされそう。というわけでこちらも記事を書いていきたいと思いました。

 

途中は省きますがラストシーンまでネタバレします。でも本作の魅力は起こったことそのものより全体にただよう空気、恐怖・息苦しさ・排他性、そういうところにあると思うので鑑賞おすすめです(Netflixの方角へ祈りながら)。

 

 

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今回の「アポカリプスだぞ!俺は嫁子供だけは絶対守るマン」はジョエル・エジャートン。最近「ミッドナイトスペシャル」や「ラビング 愛という名前のふたり」でも素晴らしかった、実直で善良な男性像です。だが今回は実直で善良マンは地獄行きだ。

森の中の一軒家に隠れ住むポール(ジョエル・エジャートン)と妻サラ(カルメン・イジョゴ)と一人息子トラヴィス(ケルビン・ハリソン・Jr)。外の様子は終始よくわかりません。怖ろしい伝染病が蔓延しているようです。ポールは家族を守るため家を厳重に封鎖しています。他人はいない。自分たち以外は死滅したのか。いや生存者がいてもこの家を知られるわけにはいかない。万が一そいつらが病気をもっていたらどうする。生活資源を奪われたら。

妻、そして何より大事な息子を守ることが最優先のポールは、伝染病に侵された妻の父親も自ら手にかけていました。仕方がない。家族を守らねばならないのだから。

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病気にかかるとこうなる(イメージ図)。ゾンビぽいが歩きも走りもしない。死ぬ。

 

もはや残り少ないのかもしれない人類、しかしポールにとって外部はすべて脅威です。家族以外の人間や世界のことはポールの頭にはありません。俺は俺の家族を守りたいだけ。それの何が悪い?

そんなポールが守る家にある夜、恐れていた来訪者が。ウィル(クリストファー・アボット)です。強盗と思われたウィルですが、ポールの厳しい尋問にも「自分にも家族がいる。妻子のために水を求めに来ただけだ」と言います。

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この男を信じるのか? ポールは迷いながらもウィルを殺さない。「同じ父親じゃないか」というウィルの言葉がきいたのか。いやポールはそもそも悪い人間ではありません。無抵抗の、病気にもかかっていない人間を殺すことを躊躇う心はある。

しかしウィルを解放してやることもポールにはできません。家の場所を知られているんだ、この男を帰したら、武器を持って今度こそ強盗に来るかもしれないじゃないか! こいつ自身が来なくても他人に家の場所を漏らされたら!

ポールには他人が信じられません。ウィルという男は信頼できそうに見える、でも万一…。万が一でも「そんなリスクは冒せない」。ポールはそう思います。ほんのわずかでも自分の家族を危険に晒すことはいやなのです。

進退きわまるポールに妻のサラが提案します。「あちらの家族ごとここに招いて一緒に住めば? むこうの物資も手に入るし、人手が多いほうが本当に襲われた時に守りやすくなるでしょう」

 

発想の転換。解放できないなら一緒に暮らしてしまえばいい。動機としては監視・監禁にも近いものですが、形の上では2家族が力を合わせて暮らす共同生活です。

極限の不信から生まれた連帯の可能性。2家族は果たして共存できるのか。

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3人家族×2の団欒風景。

 

本作の面白さはまさにこの2家族に象徴される「2つの異なる集団ははたして共存できるのか」というところで、この共同生活の描写が尺も長いしとても重要なのですが、文章では伝えきれないのと私の気力の問題でメインなのに割愛。鑑賞よろしくお願いします。

 

~いろいろあった中略~ 

 

いきなり結論へとぶと、うまくいきかけた2家族の生活ですが、少しずつ不協和音が響く。そしてある夜、ついに決定的な事件が。

ウィルの幼い息子アンドリューが寝床から抜け出し、書斎で寝ている。それを見つけたポールの息子トラヴィスが手をひいて寝室へ戻してあげました。その帰り道、トラヴィスは怖ろしいことに気づきます。家の扉が開いている。

2家族は恐慌します。誰が扉を開けたのか。幼いアンドリューなのか。もし外に出たなら感染しているかもしれない! 緊張状態に陥った場をおさめるためポールは「しばらく離れよう」と提案。だれも感染していないことがわかるまで、家族ごとに離れた部屋にこもることに。

しかしその夜明け、苦しげに泣き叫ぶアンドリューの声が家に響きます。アンドリューはやはり感染していた…。沈黙し、防毒マスクをかぶって部屋を出ていくポールと妻。そもそも彼らを招いたのは、解放することができないからでした。感染している以上ここには置けない、だが解放はできない。もはやとるべき行動はひとつしかない。

本作の中でほぼ唯一のアクションシーンは地獄絵図です。ただ逃がしてほしい、何もしないからここから去らせてほしい、幼い息子だけは助けてほしい。そう懇願する家族に銃を向け、殺戮するポール。

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「なんてこと……」あまりに残虐な結末に協力した妻ですら信じられず呆然と呟く。しかしこれで終わりではなかった。

自分たちの息子トラヴィスが発病したのです。大丈夫、よくなるから、という両親の言葉を聞きながらぼやけていくトラヴィスの視界(ここまでまったく触れていないのですが物語はおもにトラヴィスの視点から語られています)。

二人だけになった食卓、見つめあうポールと妻。そこでぶつりと映画は終わります。

 

いやーこの映画、(批評的には成功しているけど)すごく観客受けが悪かったみたいなんです。Rotten Tomatoesのユーザースコアとか、あと私の街の地元映画サイトでも異様にユーザーレビューが低かった。ユーザーレビューってだいたい60~80%くらいに落ち着くじゃないですか。たぶん30~40%台を叩き出していたんじゃ? 今の時期だと「mother!」と同じ感じ?

だってホラー映画という宣伝だったのにホラー要素がほとんどない。トラヴィスの夢という形でちょっとグロい画面はたしかにあるけど、ほんのちょっとだし。あと「It Comes at Night」というタイトルとポスターで、モンスター映画かという期待をさせた部分もあった。でも夜にやってくるのは、モンスターではなく、排他性なんですよね。

私は映画によく出てくる「家族だけは守るぜお父さん(まれにお母さん)」が生理的にきらいで、出てくるたびにゴーファックユアセルフ!と心の中指が立ってるのですが、その理由はたぶん、家族つまり自分の属する集団だけを守ろうとすれば、究極的に「It Comes at Night」のようになることは不可避だからだと思います。ポールの地獄を招いたのは「そんなリスクは冒せない」という気持ちでした。自分の家族が大事で、他人のためにはほんの少しのリスクさえ負いたくない。リスクを負わないためにはどこまでも攻撃的になれる。ポール自身は利己的な人間ではなくおそらく善良な人物ですが、「家族を守る」という目的をもったとたん、自分も含めたより大きな利益(人類の生存)を脅かすほど残虐な行動をとります。善良さや、身内だけに向けられる愛は、人間らしいものとして祝福されることもありますが、正義のない善良さや、人類愛のない愛は、人間を破滅に導くものではないのか? 私は家族を守ろうとしてあまりに無残に失敗するポールを見ながら「だから俺の娘が~とか俺の息子が~とか俺の妻が~とかそんなんばっかりやってんなよって言ったじゃん!!」とドヤ顔っていうか留飲下げ顔でした。そういう留飲を下げる層がどのくらいいるのかわからないけどその層(私含む)には「It Comes at Night」はまじ爽やかでおすすめ。

 

正体のわからない脅威に恐怖し、「身内」と「他人」を分け、 身内だけを守ろうとする不信と排他性と、その行きつく先の破滅。「It Comes at Night」は今の世界にもとても関係のある、静かで強烈なサイコホラーでした。ジョエル・エジャートンよかった。好き。